紀北町商工会
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皐月 さつき
イサキ、マダコ、マンボウ

伊佐木(イサキ)

5月から6月が一番おいしい魚。25センチまでの中型が最高、焼いて食べるのが一般的。たっぷりと塩をして焼き、皮をさっと剥がし、身だけを食べるという漁師料理がある。この時期はたっぷりと抱卵しており、黄色いタマゴは鯛のそれとそっくり。甘辛く煮るとギシギシと口の中で鳴る感じ。イサキの新鮮なものが手に入れば、「水なます」を作ってみたい。イサキにねぎとしょうがを加えてトントンと細かくたたきにし、氷水にいれて味噌を加え冷汁にする。氷がまだ残っているくらいがよく、食欲が減退するような暑い夏の日でもこれならOK。生臭さはまったくなく、のどごしの良いさっぱりした風味が好まれている。

マンボウ料理

町の魚として親しまれているマンボウの肝は珍味。酒蒸し、肝あえなどの料理方法があり、一度は体験してみたい味。本体のほうは煮物にしたり、お造りの場合はぽん酢、もみじおろしなどでいただく。

きほくの方言

イナバ(さぼる)
(例)イナバシトッタラ、アカンジョ
さぼっていたら、いけないぞ

きほくの民話

種まき権兵衛

 むかし、便ノ山村に上村権兵衛という人が住んでいた。
 畑仕事が得意でなかった権兵衛さんは、付近の荒れ地を開墾して種をまくものの、カラスや小鳥に種をついばまれ、人々から笑われた。しかし、なくなった父の望みであった農業を一生懸命頑張って村一番の農家になった。また、鉄砲の名手であった権兵衛さんは、田畑を荒らす獣や鳥を撃って村人たちに喜ばれ、近くの村から遠くの村まで、鉄砲の名人として知られていた。
 そのころ馬越峠は伊勢、那智への旅人や巡礼たちがたくさん行き来していた。その馬越峠付近の山中に大蛇が住みつき、ときどき現れては人に襲いかかり、村人や旅人たちを困らせていた。それを聞いた権兵衛さんは、どこで待ち、どんな方法で大蛇を退治するかいろいろと考えた。なにしろこの大蛇、鹿撃ちにいく猟師達の話によると、胴体が苔だらけで岩のようにかたく、とてつもなく大きいという。権兵衛さんは、大蛇を仕留めるにはいつもよりかたい弾がいると考え、鉄の棒を溶かして弾をつくった。
 次の日、準備を整えた権兵衛さんは大事にしている鉄砲を肩にかけ、肌身離さずお守りとして持っていたズンベラ石(この石に念ずると身を隠すことができるという)を懐にいれて馬越峠へ出かけた。何日も待ち受けたが、なかなか目当ての大蛇が現れない。権兵衛さんはあきらめず、鹿笛を吹きながら馬越峠の道端の茂みに身を隠して待つことにした。だが、大蛇は現れなかった。
 今度は場所を変えて、天狗倉山の頂上近くで待つことにした。山に入った8日目。あたりが薄暗くなったころ、かすかにシダの葉が揺れ。ザア、ザア、ザアという音がしてきた。近くに何かがいる気配がある。もしや大蛇かもしれないと、権兵衛さんは息を殺してじっと待った。ときおり、あたりから聞こえてくる奇妙な鳥の声やキツネの鳴き声が静けさを破り、遠くの山やまにこだまする。そうこうしているうちに、ザア、ザア、ザアという音がしだいに大きくなってきた。それにつれてシダの葉っぱも激しく揺れ、間近に大蛇がいる気配を感じた権兵衛さんは、鉄砲を持ち直し、いつでも撃てる構えで待った。
 すると、大蛇が現れ、かま首をあげ大きな口を開けて権兵衛さんに襲いかかってきた。権兵衛さんはズンベラ石で身を隠し、できるだけ大蛇を近くに寄せ、口をめがけて一発、二発、三発と続けざまに撃ち込んだ。怪物のような大蛇も権兵衛さんの鉄砲に急所を撃たれ、たまらずのたうちまわって苦しみ、毒を吐きながら山の斜面をころげ落ちていった。村人たちは銃声を聞いて、歓声をあげながら峠へと急いであがっていった。権兵衛さんは大蛇の毒にやられ、道端に倒れていた。
 村人たちは戸板にのせて村へ急いで帰り手当をしたが、大蛇の毒のためにからだ全体がはれあがり、亡くなってしまった(便ノ山の宝泉寺境内の権兵衛の碑には、元文元年(1736)没とある)。
 村人たちは、権兵衛さんを懇ろに弔い、彼をしのび、今も語り継いでいる。

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