釣り魚の王者、縁起ものとしても珍重される。煮てよし、焼いてよし、もちろん刺身にしてもいける。皮つきのまま熱湯をかけ氷水で冷ました「松皮造り」はシコッとした歯ざわりがたまらない。タイのうま味をたらふく味わいたいと言う向きには「鯛めし」がおススメ。作り方はしごく簡単、こんがり塩焼したタイを炊きあがる寸前の茶めしにのせて弱火でじっくり蒸し上げる。身を小さくほぐして手早く御飯とまぜ合わせれば出来上がり。タイを焼かずに、米といっしょに炊き込んでしまう漁師風鯛めしも、味が御飯にじわっと染み込んでこたえられない風味。タイは骨が硬いので小骨までしっかり取っておくのがおいしくいただくコツ。
ぶつ切りのイワシ・マトウダイ・小イカなどを具にしたダイナミックなみそ汁。主にイワシやタイなどをとる大敷網漁船の漁師たちが沖でとれたての魚を使って作ったのがこの名の由来。
ナンショー(何ですか)
(例)ナンジョー、ソリャー
何ですか、それは
東長島の名倉地区は、古くから木材、炭などの積出し港としてにぎわったところ。天の宮はその名倉を代表する小名倉港にある小さな神社。旧呼崎をも含めた土俗神、一名セキの神様とも呼ばれている。風邪に効があるとされ、信心する人も多い。
マンボウと殿様
むかしむかしのお話です。紀州のお殿様が、御領内をお見まわりになるため、長島浦(紀伊長島区)へやってまいりました。浦の人々は、いったいお殿様にどんなものをめしあがっていただいたらよいものやらさっぱり見当がつきません。
そこで、自分たちが一番おいしいと思うものをさしあげることにしました。「なにがうまいとゆうたって、マンボウほどうまいもんはないじょ。」浦の漁師たちの意見はまとまりました。
宿の夕食のときカツオの刺身とならんで、マンボウのやわらかい肉がたんまりお殿様の前に出たそうです。「カツオはいつも食べてはいるが、このマンボウとやらは、はじめてだ。こんなおいしいものとはしらなかった。今後、浜に上げたなら、必ず和歌山のお城までもってまいれ。」
こういって、お殿様は帰って行かれたそうです。漁師たちは、がっかりしました。マンボウが浜に上がるたびに漁をやすんで誰かが和歌山までもって行かねばならないとは、とんだ難儀です。それからというものは、長島浦の浜には、マンボウは一匹も上がりませんでした。ところが、漁方の家では、マンボウの肉を相変わらず食べていたのです。そのわけは、マンボウを浜に上げなければいいのですから、つかまえたマンボウは沖の舟の中で料理をして、切りきざみ形をわからなくしてから手桶にいれて家に持って帰るようになったからです。この習慣はずいぶん長い間つづき、戦前までマンボウは長島の魚市にかかることはまずなかったということです。
この話のお殿様は、荷坂峠をこえたとき「牟婁こえて、うぐいす聞くや梅が谷」という句を読んだ徳川南竜公という方だそうです。またマンボウは現在紀北町のシンボル魚とされて今なお町の人々から愛されています。