紀北町商工会
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水無月 みなづき
トビウオ、キビナゴ、シマアジ

縞鯵(シマアジ)

体側中央に黄色い縦縞が見られるが、成長するにつれて薄くなる。主な生息地は太平洋に面する沿岸の磯や砂泥底近く。とにかく釣りづらい魚で、高級魚中の高級魚といわれる。食べるならもちろん刺身。型のよいのが手に入ったら姿造りに挑戦。串を使って頭と尾を立て、大根の細切りをあしらい、平造りにした身を揃え生きているように盛り付ける。アジの仲間は皮がきれやすいので、尾部から皮を引くときに包丁に力を入れないのがコツ。コリコリッとした歯応えがたまらない。すしのねたとしても一級品。小さいのを一尾まるごとの塩焼にしても、いたって美味。頭や骨はぶつ切りにして塩味仕立てのうしお汁をつくる。

イトコ煮

餅のかわりに、かぼちゃやさつまいもを入れたぜんざい。戦後の主食にもなっていたもので、具になるものの甘味が砂糖がわり。いまでは作る人も少なくなったが、なつかしい味のするヘルシーな一品。

きほくの方言

エラマツ(強情者)
(例)アリャ、エラマツジャ
あいつは、強情者だ

ほたるの里(此ヶ野)

きほくの民話

河童のガタロ

 むかし、船津の番太淵に河太郎といういたずらものの河童がすんでいた。そのころの番太淵は、大きな木がうっそうとして、昼でも暗い沼だった。河太郎は時々人里まで出てきて、農家の家畜をさらっていき、その「きも」を食べてしまうといわれていた。とくに闇の夜は、にわとりやうさぎがやられた。だから子供たちは日が暮れると、外に出たがらなかった。そのころ船津の永泉寺に玄山という和尚さんがいた。玄山和尚は馬に乗るのが好きで、寺の境内で白馬を飼っていた。
 ある日玄山和尚はその馬を番太淵のほとりにつないでおいた。ところが突然馬が綱をひきずって山門へ馳せ帰ってきたので、何ごとであろうと和尚がはだしのまま出てみると、馬の後脚に何やらあやしげなものが、からまっている。和尚はそれをとりおさえて、馬だらいでふせたが、それはまぎれもなく河童だった。きっと自分の馬のきもをとろうとしたにちがいない。さすがに和尚もかんかんに怒った。そして河童をしばりあげると、本堂の柱につなぎ、玄山和尚は河童にむかって、こんこんと説教をしたのであった。それが三日間もつづいた。河太郎はうなだれて、和尚の言うことをしずかにきいていたが、いつしか河太郎の目に涙が浮かんでいた。その夜、玄山和尚は夢をみた。
 和尚が寺の庫裡に座っていると、老婆がやってきた。その姿やかっこうは河太郎とそっくりである。やがてその老婆は和尚の前までくると、手をついてあやまった。「今まで村の人たちにわるいことばかりしてめいわくをかけましたが、これからはもうけっしていたしませんからお許し下さい。」和尚さんは大きくうなずいて、許してやった。和尚はあくる朝河童をもとの番太淵へ逃がしてやった。それからは一度も河童は出てくることはなかった。
 それ以後、他村の者でも水に入るときには「オーラ船津の子」と声をかけるならわしとなった。永泉寺の縁書にはこのことを、元文元年(1736年)6月22日のことと書いてある。

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