紀北町商工会
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睦月 むつき
カンサバ、カンボラ、ヤリイカ、カンブリ

鰤(ブリ)

出世魚でもっともポピュラーなのがブリ、といっても関東と関西では肩書きがかなり異なる。ワカシ、イナダ、ワラサ、ブリの順に出世するのが関東なら、関西ではツバス、ハマチ、メジロ、ブリ。一番美味なのは40~50センチのワラサ級、刺身にしてわさびじょうゆで食べる。あら煮にする場合は、頭は二つに割り、中落ちはぶつ切りに、かまや血合いも食べやすい大きさに切る。すべて熱湯にサッとくぐらせ、水で洗ってざるに上げておく。鍋にしょうゆ、みりん、酒、砂糖と水少々を入れ沸騰したらあらを入れ、大根、たけのこなどをいれて煮込む。ブリは脂が強いので味は濃いめに仕上げる。

入り合いナマス

鍋にみそとサバのあら骨を細かくたたいたものを、調味料で好みに味つけして煮込んでおき、一口大に切ったサバをくぐらせて、しゃぶしゃぶのようにして食べる。

きほくの方言

ムッソーエー(とてもよい)
(例)ソリャ、ムッソーエー
それは、とてもよい

まつり

親子杯(おやこのさかずき)
親子杯(おやこのさかずき)

漁業者の家では、男の子が生まれると、正月11日に、本町の湊屋につれて行き親子の杯をとりかわしてもらう風習が現在でも残っている。 これは、初代湊治郎左衛門知定が、赤羽川のかんからこぼし(河童)をこらしめたということから、湊家の一族はけっして水難にあわないという伝説にもとづくものである。

弓の禱(ゆみのとう)
弓の禱(ゆみのとう)

弓の禱は正月11日に長島神社で催される。神慮を慰め、海上安全と大漁祈願や魔よけの神事である。
弓を射る者を禱人といい、一年中凶事のなかった家庭から、親と子と呼ばれる少年2名が選ばれる。
禱人は1月8日の晩から11日まで、神社参籠殿にこもり、精進潔斎して弓の稽古に専念し、当日の神事にのぞむ。

船だんじり
船だんじり

勇壮な祭りとして知られる船だんじりは、正月15日前後の土曜日、長島神社祭礼の日に地元漁協の主催で、大漁祈願をこめて行われる。
美しく彩られた漁船に漁師の子弟が乗り、神社へ向かう道中、「チョイサヤ!チョイサヤ!」のかけ声とともに威勢よく鰹を釣る様を演ずる。

きほくの民話

かんからこぼし

 昔このあたりの海や川には、頭にさらをのせどんぐりまなこでとんがり口をしたかんからこぼしというばけものがやたらとおってな。畑を荒らしたり、海で遊んでいる子を溺れさせたりして、土地の人たちはほとほと手をやいていたというこっちゃ。ある日、長島村の治郎左衛門という力自慢のお侍が、馬に乗って赤羽川を渡ろうとしたときのこと。かんからこぼしのどでかいやつが、馬のしっぽをむんずとつかんで、いつものように川の中へひっぱり込もうとしおった。治郎左衛門は、腰の刀をぶっこ抜くといきなり「エイッ、ヤッ。」と切りつけた。「ギャァ。」とものすごい叫びをあげて、かんからこぼしは水底深く姿を消したが、なんと腕だけは、馬のしりにぶらさがったままだった、というこっちゃ。
 そのことがあってから三日目の夜更けのことじゃった。戸をトントン叩くものがある。治郎左衛門は、誰じゃろと思い、戸をガラリと開けた。そしたら、なんと、あのかんからこぼしが、一本しかない腕をブラブラさせて、しょんぼりと立っているではないか。思わず身構えると、かんからこぼしはあわれな声で言い出した。「わしゃ、あやまりにきたんじゃ。許してくだされ。腕を返してくれれば、みんなをつれて沖の大海原へ引っ越しするつもりじゃ。そして代々おまえさまと関わりのある子は、けっして殺さんと約束する。」どでかい体をかがめ、どんぐりまなこから涙を流しての頼みに、もともと心のやさしい治郎左衛門は、腕を返してやることにしたんじゃ。
 それから長島村では、かんからこぼしは一匹もおらんようになった。そしてこの村の漁師の家の子は、生まれるとすぐに治郎左衛門と親類じゃという印の扇をもらい、それを持って沖へ出ていくから、よその村のように海で死ぬものはでんようになったというわけじゃい。

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