磯の王者と言われるにふさわしく、荒々しい行動と風貌の魚、かつては幻の魚などとも呼ばれ、磯釣りの標的としてはあまりにも有名。釣ってから一日おいて料理したほうがおいしい。コリコリッと歯応えのある刺身もいいが、とりわけ、その皮は珍味。ていねいにうろこを取った皮を広げ、水気を拭き取ってふきんをかけた上から熱湯を注ぐ。間髪をいれずに氷水の入ったボウルにとり、冷やし、水分をよく取ったあと、細かく刻む。細切りのきゅうりやしょうがを混ぜ、三杯酢や酢みそで食べる。シコッとした歯ざわりと舌にまとわりつくような感じがたまらない。酒の肴に最適。
野いちごの葉・寿し飯・ニンジン・ゴボウ・シイタケなどの味付けした野菜、サバを順番に重ねた押し寿司。バランのかわりに野いちごの葉を用いるのが特徴。野いちごの葉は香りがよく、水分を吸うのでベトつかない。主に祝い事の時に作られる。
コロッパイ (必死になる)
(例)コレ、コシャウノニ、コロッパイシタ
これを作るのに、必死になった
この一年に亡くなった人の供養をするための踊りで日は一様でないが、だいたい16日の晩に行われ、古くから伝わるものと、新しいものを混ぜて踊る。また、所定の場所には、初盆の家が灯籠を吊るしており、線香をあげてお参りする。この踊りが終わった後、精霊送りを行う。
犬の紋
むかしむかしのお話です。赤羽谷中桐村(紀伊長島区)にもと北畠のお家来でありました大久保くらの助という武士が落ちのび、すみついていました。鉄砲の名人なので、狩を仕事にしてくらしをたてていたそうですが、そのために、チラという名前の犬を大事にかっていました。チラは、役にたつ犬で、ウズラやヤマドリなど、巣から追い出すことにかけては奥熊野一の名犬といわれていたそうです。
ある日、いつものように、くらの助はチラをつれて、三戸谷のほうへ出かけていきました。ところが、その日に限ってヤマドリどころか、ウサギ一羽も、えものにめぐりあえず。「おかしいにゃあ。こんな日は、いくらはげんでみてもあかんのにちがいない。まあかえろか。」チラにそう話しかけると、まだ日があるのに三戸谷から帰りかけました。三戸谷と中桐村の中ほどにある三浦谷まできたときです。岩かげに、腰をおろしてひとやすみしていますと、いきなり、チラがキバをむき出してくらの助に、はむかってきました。「なにを血まよったかチラよ。しずまらんかれ、しずまらんかれ。」と、なだめようとしましたが、ますますはげしくほえたて、あげくの果てに、グワッと、歯をむき出してとびかかってきたのです。くらの助は、思わず持っていた鉄砲でチラをうちました。急所をいぬかれながらもチラは、主人をとびこえてがけの上までかけ上がり、背後よりくらの助をねらっていた毒ヘビをガッキと食わえるとそのままドサリと地におち、息たえたそうです。思いちがいを涙でわびて、くらの助はチラの遺骸(いがい)を持ちかえり、村へていねいにほうむりました。いまでも赤羽谷の旧家、大久保家では家紋に犬の字を使っているのには、こんなわけがあるのだそうです。